

鳥取県米子市

1、記紀と日野川
古事記や日本書紀の神代の記録は、因幡と伯耆と出雲の国の話しがほぼ100%で、日本の国は、山陰地方で出来上がったと書かれています。
この中で、有名な八岐大蛇退治のスサノオノ命が、高天原から降り立った場所が、鳥髪の山=今の船通山と書かれています。
そして、この山は、「ヒノ川」の支流とも書かれており、一般にこの「ヒノ川」は、島根県の「斐伊川」と言われてきたのが、これまでの定説でした。
しかし、良く良く記紀を読むと「ヒイ川」とは書かれていないことがわかります。日本人は、他の世界中のモンゴロイドと同様に、1300年ほど前までは、文字を持たずに口承によって代々記録を伝えてきました。
645年の大化の改新の前後に、それまでの古墳時代の失敗により、日本人は中国の文明・文化・科学・宗教・政治・経済システム等々を導入し、日本文明の総入れ替えを行いました。この時、中国の文字=漢字の導入も行い、当時話し言葉だけだった日本語に、中国の文字を当てはめる作業を行いました。
この結果、一字一字を一音一音に置き換える和文体の漢字使いを行いました。これは仮名文字を開発するまでの約100年間ほど続けられました。
この方法によって書かれた古事記には、「肥の川」と書かれており、これは「ヒノカワ」と、当時の日本人が発音していたことを示しています。
この仮説が正しいとすれば、記紀の記録は、島根県の斐伊川(ヒイカワ)ではなく、鳥取県の日野川(ヒノカワ)の方に対応していると考えるべきでしょう。
又、スサノオノ命は、八岐大蛇の退治後に、アシナヅチ・テナヅチの娘である櫛稲田姫と結婚しますが、アシナヅチ・テナヅチの親は、天孫と結婚する此花咲くや姫の親と同じ大山津見の命となっており、これは日野川の源流の一つである大山を示していると考えられます。
次回は、考霊天皇と日野川についてお話しします。お楽しみに。
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